スパピープル
vol.4三代公映(みしろこうえい) - 気を養い、心を養う気功 -(1)
比叡山で修行を積まれ、茨城県つくば市で気功・太極拳を修得された三代さんは、気功を通して心をいかに養い徳にいたるのかをテーマに活動をされています。
気=エネルギーの上手な取り込み方、使いかたのエクササイズが「気功」です。
― そもそも「気」というのはどういうものか教えてください。
人間が生まれてから自分自身で獲得していくエネルギーを「後天の気」または「水穀の気」といいます。水を飲むこと、食べ物を食べること、息をすることによって取り込むエネルギーです。一方、お母さんのおなかのなかでいただくエネルギーが「先天の気」です。人類が誕生してから連綿と受け継がれているエネルギーです。それぞれの寿命は100歳ずつあるといわれていますから、2つあわせると人間の持って生まれた寿命は200歳ということになります。「後天の気」をうまく使えば、「先天の気」の持ち出しを防いで、持って生まれたエネルギーを使わずにすむ。食べることができない状態、あるいはストレスを受けている状態の時、人間は「先天の気」でそれを補って生命活動を維持します。そして「先天の気」がゼロになったときに人間の寿命が尽きるという考え方です。
日常生活の中で、食べることや、人とのコミュニケーションなど、いかに「後天の気」を上手に取り入れ、使っていくか、ということが、「先天の気」の持ち出しを防いで、ひいては人間の寿命を保つことにもつながります。
― 気功というのは水を飲んだり、食べ物を食べたり、息をしたりすることによって取り込むエネルギーの取り入れ方、使い方ということですか?それを知っているのと知っていないのでは大きな違いがありますか?
気功をやっていなくてもエネルギーに満ちていて、心豊かに暮している方がいますが、そういう方は何ができているかと言うと、日常生活がきちんとできている。先天のエネルギーの持ち出しが少ないのです。つまりその方は人生を楽しんでいて、よい生き方の見本だということです。そういう生き方をすれば、わたしたちも長く寿命が保て、人生を楽しく過ごすことができる。しかし一般の人にはなかなかそういうことができないので、それで簡単なエクササイズが生まれてきたんですね。そのエクササイズの総称を気功というのですが、気功と名づけられてからまだ半世紀もたっていないのです。
「気功」はさまざまな気のエクササイズの総称です。
― それはちょっと意外です。
「気功」という名称は、1957年、北載河気功療養院の劉貴珍(りゅうきちん)が「気功療法実践」という本の中で、初めて使ったとされています。それまでは、按摩とか、指圧とか気を練るとか、煉丹(れんたん)、吐納(とのう)、導引(どういん)、行気(ぎょうき)、精功(せいこう)、内功(ないこう)、修道(しゅうどう)、内養功(ないようこう)、養生功(ようじょうこう)など、さまざまな呼び名で呼ばれていました。精神修養の禅、そして合気道、太極拳などの気を使う武道などもそうです。それらを総称して「気功」いう造語を作ったのです。それが現在、気のエクササイズの代名詞として使われています。
― 「気功」といっても、たくさんの種類があるということですね。
主に健康の管理と体力の増進を図る保健的な気功、太極拳などの武道的な気功、そして、精神の解放と心の修養を目指した道(タオ)の教えを実践する道家的な気功、この3つに大別することができます。その他にも、病気になったときに癒したり治したりする医療気功もあります。
すごくたくさんの種類があるなかで、自分がどれを一番欲していて、自分のエクササイズに何が一番あうかは、それぞれの人が見つけていくべきものなのです。
わたしは、出自が宗教家ということもあり、体力や健康維持にとどまらず、気功・太極拳を通じて、心のあり方や、心をいかに養い、徳にいたるのかをテーマにしています。
仏教の伝統と気功の融合を目指しています。
― 三代さんは僧侶でもいらっしゃるということですが、なぜ気功を始められたのでしょうか?
わたしは比叡山で修行しましたが、密教の教えの中にはいろいろな印(いん)と真言(しんごん)があります。印を組み、真言を唱えて、仏様をイメージする修行があるのですが、印や真言の意味がなかなか理解できなかったのです。
東洋には経絡(けいらく)、丹田(たんでん)という考え方がありますが、実は印は経絡のスポット上で組まれるのです。胸腺の前では普通に合掌しますし、丹田の前では違う組み方をする。今考えれば、印を組む位置は、人間のホルモン帯と神経叢(しんけいそう)の場所だったのですが、特定の場所で、特定の印を組んで、特定の真言を唱えるということは、エネルギーの流れをつくり、音としてのバイブレーションをそのホルモン帯及び神経叢にあてるということです。
密教で印を組み、真言を唱える修行の意味を、東洋の経絡とか、ツボというところからアプローチして理解することができないだろうか、という発想があって気功を始めました。仏教の伝統として伝わっていたものと、中国の気功との接点を見つけ、その2つを融合させていきたい、というのが最終的な目標です。
― 密教の印が身体のツボを結んだ経絡と関係しているというのはとてもおもしろいですね。
仏像によくある印で、親指と人差し指で輪をつくるものはみなさんも見覚えがあると思いますが、親指は大きな意識を表し、人差し指はパーソナルな意識をあらわしているので、この印は、大きな超越した意識と小さな個人の意識が合一して、調和していることを意味しています。他の指にもそれぞれ意味があり、すべて方向性と、特定のエネルギーを表しています。指の結びかたによって、どの経絡とどの経絡がつながり、どんなエネルギーが流れ込むかということが決まってきます。このエネルギーは瞬時にして集まり、瞬時にしてなくなってしまうものなので、認識することはできませんが、意識と目的をもって行うことが大切です。
心が身体の中にきちんと収まる姿勢が大切です。
― 意識をもって行う、ということはとても難しそうですね。
人間の心は遊びに行きたがります。仕事をしていても、ついつい他の事を考えてしまって、なかなか集中できない。集中できないということはどういうことかというと、集中できない格好になっているということです。実は姿勢の問題なのです。
心が身体の中にいて、居心地がよいという状態をまずつくってあげることが大切です。心が身体から遊びに行かない状態をつくってあげる、心が身体の中にきちんと収まる状態をつくってあげるということを、「丹田を保つ」とか、「丹田に気を入れる」とか、「丹田に力を込める」という言い方をしています。
丹田というのはたとえて言えば身体の「おもり」です。釣りを想像していただくとわかりやすいのですが、浮きは倒れた状態では役目を果たしませんが、ちょうどいい「おもり」をつけてあげると水面に対して常に一定の状態を保つことができますよね。その「おもり」の役割を果たすものが丹田力なんです。だから自分の身の丈にあった力の集中が、丹田で行われているとき、肉体のバランスは安定した状態になります。
― 丹田というのはよく聞きますが、身体にとって重要な場所なのですね。
丹田は、気を養う場所であり、運動の中心スポットです。気功というのは、いかに重力に逆らわずに動くかということでもあります。動いているように見えて実は重心が移動しているだけなのです。このように重力をコントロールし利用することも気功です。
また相手に気をおくる場合は、丹田というまあるい玉が、地球というまあるい玉に、そおっとバランスをとって転がらないようにのっている状態をイメージして、地球のエネルギーを自分の中を通して相手に伝えていきます。自分の丹田にエネルギーが供給されて、そこを通じて相手にエネルギーを供給するのです。自分もエネルギーをもらうし、相手にもエネルギーを供給する。気功は、絶対に自分のエネルギーを消費、浪費はしません。自分が食べた、飲んだ、息をしたエネルギーの持ち出しは、自分の寿命を縮める行為に他ならないからです。自分の生命エネルギーを削ってはいけません。
おなかが充実して肩に力が入っていない状態が、身体が安定した状態です。丹田を通してエネルギーが供給されているとき、自分の中にストレスが発生していない状態になります。
